舌

【した】名詞

同義語

同品詞の類義語

柔らかな触手文芸的

類義句

同品詞の慣用的言い換え

熱い息

直喩変換

「Xのような」「Xみたいに」形式の直喩

蛇のような文芸的
蠱惑的な文芸的

副詞的言い換え

情態副詞・形容詞の副詞的変換

巧みに

動詞的言い換え

形容詞・副詞を動詞句に変換

舐め回すcolloquial

体言的言い換え

用言を体言に変換

熱情の使者文芸的

婉曲・強調変換

ニュアンスの増減(婉曲化・強調化)

官能の導き手文芸的

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心臓で思い、舌で語る——器官の名が言語にならなかった経緯

エジプトのメンフィスに伝わった神学では、創造の神プタハは、心臓で思い浮かべ、舌で言い表すことによって世界を成立させたと語られます。土をこねる手も、水を分ける腕も出てきません。思考と発語という二つの働きだけで、神々も町も食物も生じたことになっています。ここでの舌は、味わうための器官ではなく、内側にあるものを外へ出力する装置として置かれています。世界はまず口の中で形になりました。そういう構図です。

インドの古典的な体系では、舌が受け取る味は六つに分けられました。甘、酸、塩、辛、苦、そして渋みを加えた六種です。味そのものを指す語がラサでした。同じラサという語は、詩学と演劇論の領域では、作品が観る者の内に立ち上げる情感を意味します。舌の上で起きることと、心の内で起きることが、一つの単語を共有していたわけです。日本語でも味わうという動詞は鑑賞に転用されますが、インドの場合はその重なりが理論の中心に据えられ、情感が何種類あるかという分類まで組み立てられました。

漢字の「舌」は、口から何かが差し出されている形として説明されます。ただし上部を何と見るかについては複数の解釈があり、確定していません。字を含む語を集めてみると、味覚よりも発話のほうに大きく偏っているのがわかります。舌鋒、舌禍、弁舌、饒舌、毒舌——並べてみると、どれも喋ることに関わっています。味の側は「舌が肥える」「舌が肥えている」あたりで、語彙の厚みがまるで違います。器官としての用途は二つあるのに、造語の力は片方へ集中しました。訓の側にも同じ偏りが見られます。「した」という和語も、舌打ち、舌を巻く、舌が回るというように、発話と評価の慣用句へ吸い寄せられていきました。舌先三寸という言い方に至っては、器官の寸法を持ち出しておきながら、指しているのは言葉の軽さのほうです。長さを数える語彙まで、喋ることの側に取られてしまいました。

ここで、日本語に特有の事情が出てきます。ラテン語のリングアも、ギリシア語のグロッサも、器官としての舌を指すと同時に「言語」そのものを意味しました。英語のランゲージは、リングアの系譜に連なる語です。ところが日本語の「舌」は、これだけ発話の語をつくりながら、単独で「言語」の意味には届きませんでした。その位置は「言葉」「言の葉」という、まったく別の系統が占めています。器官の名に言語の名を兼ねさせる——多くの言語が採ったこの経済的な道を、日本語は通らなかったことになります。

分業には見返りがありました。抽象名詞へ昇格しなかったぶん、この字は身体の側に留まり続けています。舌先、舌触り、舌足らず、舌なめずり。いずれも器官の質感や運動をそのまま指し、比喩に見える語ですら物理的な像を経由します。二枚舌は、舌が二枚あるという滑稽な絵をいったん立ち上げてからでないと意味に届きません。味わうという抽象的な仕事のほうは、隣の「味」の字が引き受けました。味覚、味読、賞味というように、鑑賞や理解へ伸びていく語はそちらの字から生えています。器官の名は器官の役だけを与えられ、抽象へ出ていく道を持ちませんでした。神が世界を語り出したその同じ器官が、日本語では最後まで湿ったまま、温度を持ったまま置かれています。

文: hakadoru.ai 編集部

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