真名を呼ぶ夜——R18小説における名前の禁忌と官能
名を呼ぶという行為が最も深い接触になり得ることを、古い信仰の蓄積から閨の場面の設計まで辿ります。
名前を知ること、呼ぶことに特別な力を認める観念は、驚くほど古く、広く分布しています。日本では貴人の実名(諱)を口にすることが長く避けられ、実名はその人の霊的な人格に直結すると信じられていたと考えられています。万葉集の巻頭に置かれた歌では、岡で菜を摘む乙女に名を問うことが、そのまま求婚を意味すると解されています。名を明かすことは、身を許すことと地続きだった。この古層は、現代の私たちの言語感覚の底に、いまも静かに息づいています。
物語の伝統も、同じ観念を繰り返し語ってきました。西洋の昔話には、名を言い当てられた瞬間に力を失う小人が登場し、現代のファンタジーには、真の名を知ることがその存在を支配することだとする魔法体系が受け継がれています。名は存在の把手である。この比喩が時代を超えて手を替え品を替え反復されてきたことは、名を呼ぶ行為が単なる呼びかけではなく、相手の輪郭そのものを掴む行為だと、人が感じ続けてきたことの証と言えるでしょう。
閨の場面で名が呼ばれるとき、この古層が浮上します。役職で呼ばれ、姓で呼ばれ、敬称をまとって暮らす人間にとって、下の名前は社会的な衣装を脱いだあとの最後の一枚です。それを声にすること、させることには、明け渡しと支配という相反する二つの運動が同居します。名を呼ばせる側は相手の降伏を確かめ、名を呼ぶ側は自分の武装解除を差し出す。R18小説が名を呼ぶ場面に幾度も頁を割いてきたのは、そこに肌の描写と同じ重さの露出があるからだと考えられます。
そして場面は、名前の音に質感を与えます。母音で終わる名は息とともに引き延ばすことができ、促音や破裂音を含む名は途切れ、砕けます。切迫した呼気の中で、セイジという名とレンという名は同じようには崩れません。どの音がどんな艶を帯びるかを一律に定めることはできませんが(音の印象は文脈に大きく左右されると考えられています)、少なくとも、その名が乱れた息の中でどう変形するかは、作者が声に出してみれば確かめられます。名は紙の上の記号である前に、喉を通る音です。
実務の話をすれば、R18小説には固有の逆説があります。名前という語が最も高い頻度で発話されるのが、しばしば情事の場面だという点です。喘ぎや囁きの中で幾度も繰り返される名は、地の文で目に触れるときの何倍も、音として検分されます。滑稽な連想を呼ぶ同音の語が近くにないか、途切れた息で呼ばれても崩れない響きか、繰り返しに耐える音か。命名の時点でその場面まで想定して選ばれた名と、そうでない名との差は、最も濃密な頁でこそ露わになります。
だとすれば、命名の手順は逆から組んでよいはずです。名前はふつう、プロフィールや初登場の紹介文といった、いわば服を着た場面を想定して選ばれます。けれどその名がいちばん多く声に出され、いちばん近い距離で聴かれるのは、物語の最も裸の頁のほうです。ならば試すのもそちらが先です。乱れた息の中で呼んでみて、崩れてなお立つ音か。幾度繰り返されても摩耗しない響きか。最も深い場面に耐えた名は、教室や職場の場面では何食わぬ顔で働きます。その逆は保証されません。名付けを閨の側から始めること——それが、この領域を書く人だけに開かれた、実務的な近道だと思うのです。