淫液

【いんえき】名詞

同義語

同品詞の類義語

蜜の滴文芸的
官能の雫文芸的
欲望のしずく文芸的

類義句

同品詞の慣用的言い換え

蜜の泉文芸的
官能の源泉文芸的

直喩変換

「Xのような」「Xみたいに」形式の直喩

甘美な泉のように文芸的
熱い吐息のごとく文芸的

副詞的言い換え

情態副詞・形容詞の副詞的変換

熱く激しく文芸的

動詞的言い換え

形容詞・副詞を動詞句に変換

溢れ出る文芸的
ほとばしる文芸的

体言的言い換え

用言を体言に変換

甘い泉文芸的
快楽の源文芸的

婉曲・強調変換

ニュアンスの増減(婉曲化・強調化)

淫らな潤い文芸的
熱情のしるし文芸的

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度を越える、という判定

長く降り続いて作物を損なう雨を、漢籍では淫雨と呼びます。制度の定めにない神を祀ることは淫祀です。漢和辞典を開けば、この字の訓には「ひた(す)」と「みだ(ら)」が並んで載っています。淫がまず担っていたのは性ではなく量であり、決められた度を越えて長引くこと、境を越えて浸し続けることを、この字は指していました。性の含みは、その「越える」という核から後になって絞り込まれた枝のひとつにすぎません。

そう考えると、淫液という熟語が述べているのは液体の成分でも役割でもないことがわかります。述べられているのは、それが多すぎるという判定のほうです。同じ現象に医学の語を当てれば分泌という中立な出来事になり、この字を当てれば、出る前から過剰という値札が付きます。二字のうち後ろの一字だけが対象を指し、前の一字はまるごと評価に使われている——語を選ぶ行為がそのまま評価を選ぶ行為になる場所として、これはかなり露骨な例です。和語を当てるか、擬態語を当てるか、医学語を当てるかという選択肢はいくつもあり、そのどれもが読者の姿勢を先に決めてしまいます。

エロティシズムの研究が繰り返し扱ってきたのも、まさに境界の問題でした。人類学者メアリ・ダグラスは一九六六年の著作で、汚れとは物質そのものの性質ではなく「場所を間違えた物」だと論じました。同じ髪でも、頭にあるあいだは美しく、皿の上にあれば汚れになります。靴は床にあれば道具ですが、食卓に載れば違反です——位置が変わっただけで、物の意味は入れ替わります。体液が多くの文化で儀礼的な注意を集めてきたのは、それが身体の内と外を実際に横断する数少ない物質だからでしょう。境界を越えるものは、越えたという事実だけで意味を帯びます。越えたことを咎めるための語がその都度こしらえられてきたのも、同じ事情によるものでしょう。

過剰という主題は、蕩尽という概念とも結ばれてきました。北米北西海岸の社会で記録されたポトラッチのように、財を惜しみなく配り、ときに壊してみせる慣行は各地に見つかります。祭礼で供物を使い切る作法も、蓄えを一夜で費やす贈与の型も、計算に合わない支出をわざわざ制度として抱え込んだ例です。この字がもともと量の語であったことを思えば、それが禁忌の側に置かれた理由も見えてきます。問題にされているのは性そのものというより、計量できないほど出るという事態のほうなのでしょう。

もっとも、この読みには反論も立ちます。淫の字が量から性へ意味を狭めたのは単に婉曲の必要が高かったからで、そこに思想を読むのは行きすぎだ、という見方です。確かに、露骨な語を避けるために漢語を選ぶという習慣は、医学にも法にも広く見られます。それでも、婉曲のために選ばれた字が「越える」を核に持っていたという事実のほうは残ります。この語を本文に置くとき、書き手は現象を描いているのではなく、すでに一つの判定を下しています。判定を残したまま書き進めるのか、いったん外して読者に委ねるのかという分岐が、二字の熟語ひとつに畳み込まれています。

文: hakadoru.ai 編集部

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