山かけ

【やまかけ】名詞句

同義語

同品詞の類義語

立山文芸的
懸垂文芸的
逆さ吊りcolloquial

類義句

同品詞の慣用的言い換え

逆立ちの交わり文芸的
宙吊りの悦び文芸的

直喩変換

「Xのような」「Xみたいに」形式の直喩

逆さまにぶら下がるように文芸的
立位を彷彿とさせる文芸的

副詞的言い換え

情態副詞・形容詞の副詞的変換

宙に浮くように文芸的

動詞的言い換え

形容詞・副詞を動詞句に変換

宙吊りにするcolloquial
逆立ちさせる

体言的言い換え

用言を体言に変換

逆さ体位
立位交わり文芸的

婉曲・強調変換

ニュアンスの増減(婉曲化・強調化)

重力に逆らうように文芸的
天井に吸い付くように文芸的

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掛けるのか、賭けるのか——仮名のまま残された四拍

蕎麦屋や鮨屋の品書きに並ぶ同じ四拍の語は、すりおろした山芋を上から流しかけた一皿を指します。名が告げているのは、かけるものと、かけるという動作だけです。下に敷かれているのが鮪なのか蕎麦なのかは、名の側に書かれていません。同じ語形が、閨の技法を数え上げる近世の目録にも置かれています。片方は食卓の語として日々使われ、もう片方は艶本のなかで生き延びました。ひとつの語形が二つの流通経路をたどり、どちらでも覆う動作だけを申告している点に、この名の骨格があります。

和語の「かける」は、日本語のなかでも分岐の激しい動詞です。掛ける、懸ける、架ける、賭ける、駆ける——表記を割り当てる段階で、書き手はどの意味かを選ばされます。ところが仮名で書かれた技法名は、その選択を保留したまま伝わってきました。橋を渡す架けるなのか、命や金を張る賭けるなのか、単に上から覆う掛けるなのか。漢字が意味を切り分ける言語のなかで、切り分けを拒んだ表記が残っているわけです。四十八手の名の多くが仮名書きや当て字で流通したことを思えば、これは制度の産物というより偶然の産物でしょう。ただし偶然が保存したものを、あとから読む側は多義として受け取ります。

食卓の側では、この一字は芋を指しています。しかし同じ字は、まったく別の系列も抱えてきました。試験のヤマを張る、ヤマが外れる、ヤマ勘——不確実な予測を指すこの用法の由来については、鉱脈の当たり外れに賭ける山師の商売から来たとする説が知られています。ただし断定はできず、複数の説が並んでいるのが現状です。確かなのは、この一字が近世以降、当たるか外れるかしかない賭けの語彙として定着したことです。高さや量ではなく、結果の二値性のほうを引き受けた一字だと言えます。山を張るという言い方が、当たれば大きく外れれば全損という賭けの形を前提にしていることも、この用法の性格をよく表しています。

哲学は、他者をめぐる判断が原理的に賭けであることを繰り返し確認してきました。目の前の相手に自分と同じような内面があることは、証明できません。表情や身振りから推し量るほかなく、その推測が正しいことを外側から確かめる手段はないからです。他我をめぐるこの構図は、懐疑論として提出されると同時に、日常がすでにその懐疑を跨いで営まれている事実の指摘でもありました。確実性を待っていては誰とも関われず、関わってしまえば確実性は事後にしか訪れません。賭けという語がここで比喩の域を出るのは、賭けたあとにしか結果が現れないという時間の構造まで一致するからです。

名づけの側に戻ると、この語が動作の主体も対象も書かないことがあらためて目につきます。何が何に掛かるのかは空欄のままで、覆いと賭けのどちらとも読める動詞だけが残されています。技法名としては不親切ですが、他者に関わるという事態の記述としては、むしろ正確なのかもしれません。相手の応答は覆いを外すまで見えず、外した先に何があるかは掛けた側の見込みの外にあります。仮名四文字が確定を拒んだまま二つの流通経路を生き延びてきたのは、その曖昧さが実用に足りていたからでしょう。

文: hakadoru.ai 編集部

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