ぬるぬる

【ぬるぬる】副詞

同義語

同品詞の類義語

ねっとりcolloquial
とろとろcolloquial
しっとり

類義句

同品詞の慣用的言い換え

とろけるように文芸的
粘膜が絡み合うほどcolloquial

直喩変換

「Xのような」「Xみたいに」形式の直喩

粘液のようなcolloquial
潤滑油を塗ったように

副詞的言い換え

情態副詞・形容詞の副詞的変換

ねっとりとcolloquial
とろりと文芸的

動詞的言い換え

形容詞・副詞を動詞句に変換

滑らかに動く
絡みつくcolloquial

体言的言い換え

用言を体言に変換

粘り気
潤滑な動き

婉曲・強調変換

ニュアンスの増減(婉曲化・強調化)

淫靡に文芸的
ねばねばとcolloquial

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抵抗のないものは所有できるか

近年、画面の動きがなめらかであることを「ぬるぬる動く」と褒める言い方が広まりました。掴もうとして掴めない不快の側にも、引っかかりのない快適さの側にも、同じ語が使われている。摩擦が小さいというひとつの物理的事態が、評価としては正反対の二つへ分かれたわけです。この分岐は語の側の揺れというより、抵抗というものが人にとって何であるかの二面性を映しています。

外界の実在を何が保証するのか、という問いに、手ごたえを挙げて答える流儀は古くからあります。押し返してくるものは、こちらの意のままになりません。その手ごたえだけが、対象が自分ではないことの証拠になります。抵抗は、他者性の最小単位として扱われてきました。ここから眺めると、摩擦のない表面は奇妙な位置に立ちます。確かに触れているのに押し返しが弱く、掴んで保持することができません。接触は成立しているのに所有が成立しない——この分離を名指すために、日本語は四拍の反復形を用意していたことになります。

粘つくものについては、二十世紀のフランス哲学に有名な分析があります。サルトルは、固体でも液体でもなく手にまとわりつく質を、存在のあり方が露わになる場所として論じました。そこで問題にされたのは、触れる側が触れられる側に取り込まれてしまうという逆転です。硬い物を握るとき、主導権は握る手にあります。ぬめる面に触れるとき、主導権は曖昧になり、掴もうとする動きがそのまま滑る動きへ変換されてしまいます。所有しようとする行為が、そのまま所有されることへ反転してしまいます。粘つくものが不安を呼ぶのは、この主客の不安定さのためだと考えられています。

語幹の「ぬる」は、温度の「ぬるい」と同根だとする説があります。断定はできませんが、二つの意味を並べてみると、共通しているのは差の欠如です。皮膚の温度受容は絶対的な温度ではなく変化に敏感で、体温に近い湯に浸かった手は、そこに湯があること自体を報告しなくなります。熱くも冷たくもない水は、触覚の側からは存在感を失う——差がなければ知覚が立ち上がらないという原則が、ここでは温度に現れています。摩擦の側でも事情は同じで、抵抗の差が消えると対象の輪郭は掴めなくなります。温度の「ぬるい」が退屈や生ぬるさの比喩へ滑っていったのも、同じ構造の反復でしょう。

ところが、抵抗の消失が快になる場面もあります。よい道具は使い手の意識に上らないと言われます。抵抗がないとは身体と対象のあいだの境界が薄れることでもあり、そのとき人は対象を操作しているというより、対象のほうへ延長されています。冒頭の褒め言葉が指しているのは、この延長の感覚です。掴めなさが不快になるか快になるかは、対象を所有したいのか、対象と一体になりたいのかによって決まります。同じ摩擦係数が、目的の違いによって欠陥にも美点にもなるのです。

この語が形容動詞にも副詞にも連体修飾にも渡れることは、意味の広さと対応しています。「ぬるぬるだ」「ぬるぬる滑る」「ぬるぬるした表面」と、品詞の枠に収まりきらない語は、対象の性質を名指しているというより、その性質と出会ったときの構えを名指しているのだと考えられます。触れられるが持てないもの。哲学がこの位置に置いてきたのは、たいてい他者と時間でした。四拍の擬態語がその隣に並ぶのは、語彙の格の問題ではなく、経験の構造が同じだからです。

文: hakadoru.ai 編集部

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