身悶える

【みもだえる】動詞

同義語

同品詞の類義語

蠢く文芸的
喘ぎもだえるcolloquial

類義句

同品詞の慣用的言い換え

身を捩じる文芸的
悶え苦しむ

直喩変換

「Xのような」「Xみたいに」形式の直喩

蛇に絡まれたように文芸的
嵐に翻弄されるように文芸的

副詞的言い換え

情態副詞・形容詞の副詞的変換

苦悶の表情で

動詞的言い換え

形容詞・副詞を動詞句に変換

もがく
悶える

体言的言い換え

用言を体言に変換

快楽のうねり文芸的
官能の渦文芸的

婉曲・強調変換

ニュアンスの増減(婉曲化・強調化)

身をよじる
身動き激しく

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分けられないままの反応——「身悶える」が呼び戻す時期

「悶」は、門のなかに心を置いた字です。閉じた枠と、その内側で行き場を失うもの——この構えは、悶絶、苦悶、煩悶といった漢語にそのまま受け継がれています。悶絶の「絶」が指すのは意識の途切れで、煩悶の「煩」は頭に熱がこもるさまを表す字だと説明されます。行き場のなさをどちらへ振り切るかで、熟語の顔つきが分かれてきたわけです。和語の「もだえる」も、古い用例では苦痛の側に置かれてきました。快の側で使われるようになった時期を確定するのは難しいのですが、少なくとも漢語の熟語群は、いまも苦のほうへ大きく偏っています。

「身悶える」では、そこに「身」が冠されます。身構える、身震いする、身をよじるといった語が同じ型を持っています。この接頭的な「身」が加わると、動作は局所を離れ、全身の出来事として述べ直されます。指が震えるのと身震いするのとでは、震源を指定するかどうかが違います。身に染みる、身を切る、身を焦がすまで含めれば、この「身」が痛覚と情動の両方を束ねる位置で働いてきたことも見えてきます。「悶える」だけなら心の内側の話にとどまり得ますが、「身悶える」と言った瞬間に、体のどこが動いたのかを言わないまま、全体が動いたことになるのです。

発達心理学が記述してきた順序と、この言い方はよく合います。生後まもない時期の乳児は、不快の原因が空腹でも痛みでも、体の広い範囲を使って反応します。手足が同時に動き、体幹がそります。どこが痛いのかを身振りで示せるようになるのは、体の地図が細かく分かれてからです。反応が局所へ集まっていく過程は、身体像の獲得と並行して進むと考えられています。

その地図がどこまでできているかを測る方法のひとつに、鏡を使った課題があります。子どもの額に気づかれないよう印をつけ、鏡の前に立たせて、鏡の面ではなく自分の額へ手を伸ばすかどうかを見ます。ヒトの場合、これを通過するのはおおむね一歳半から二歳のあいだだと報告されています。鏡像を自分と結びつけられるということは、外から見える自分の形を持つということです。身体像を持って初めて、体の一部を切り出して語ることができるようになります。

身体像は、一度できあがれば固定されるというものでもありません。思春期には寸法も輪郭も比較的短い期間で変わり、獲得済みの地図と実際の体とがずれます。手足が急に伸びた直後に動作がぎこちなくなるのは、地図の更新が追いついていないためだと説明されます。自分の体が自分の見積もりからはみ出す時期に、身体を全体としてしか語れない言葉が呼び戻されるのは、順序として自然でしょう。「身悶える」が思春期の描写と相性のよい語であることには、この背景があります。

成人が身悶えるとき、起きているのはこの分化の一時的な後退に近いものです。快でも苦でも、強度が上がると反応はふたたび全身へ広がり——どこがどうとは言えなくなります。「身悶える」が快と苦のどちらにも使えるのは、その未分化の状態そのものを名指しているからでしょう。書き手がこの語を選ぶと、人物の身体は部分の集合であることを一時的にやめます。逆に、指先や喉や膝の裏を名指して書けば、身体像は保たれたまま、別の質の切迫が立ち上がります。

文: hakadoru.ai 編集部

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