注ぐ

【そそぐ】動詞

同義語

同品詞の類義語

流し込む
注ぎ入れる
溢れさせる

類義句

同品詞の慣用的言い換え

欲望をぶちまけるcolloquial
激しく交わる

直喩変換

「Xのような」「Xみたいに」形式の直喩

洪水のような文芸的
奔流のように文芸的

副詞的言い換え

情態副詞・形容詞の副詞的変換

激しく

動詞的言い換え

形容詞・副詞を動詞句に変換

奔放に交わる文芸的
愛を交わす文芸的

体言的言い換え

用言を体言に変換

熱い交わり
官能の瞬間

婉曲・強調変換

ニュアンスの増減(婉曲化・強調化)

熱く絡み合う
激しくぶつかる

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液体としての注意——訳語に残った比喩

英語の attention に「注意」という訳語が与えられたとき、そこには水を流し込む字が選ばれました。明治期の訳語づくりは、原語の語感を漢字の意味に載せ替える作業でしたから、この選択は偶然ではありません。「注」は氵と主から成り、一点へ水を灌ぐことを表します。注釈の「注」も同じ字で、本文という器に語を流し込む比喩から出たものと説明されます。心の働きを言い表すのに、日本語は最初から液体の語彙を選んでいたわけです。

心理学がこの働きを扱うようになってからも、比喩は液体の側に残りました。一九七〇年代に提出された影響力の大きなモデルは、注意を限りのある資源として扱い、複数の作業へどう配分するかという枠組みで説明します。容量、配分、枯渇——用いられる語はどれも、汲めば減るものを前提にしています。もうひとつ有力な比喩はスポットライトで、こちらは照らす範囲と明るさによって説明します。液体と光という二系統が並存したまま、研究者はいまもどちらか一方に決めきれずにいます。

言語ごとの比喩の癖を見ると、日本語の位置がはっきりします。英語では pay attention と言い、注意は支払われるもの、つまり貨幣として扱われます。日本語も「注意を払う」という言い方を持っていますから、貨幣の系統を輸入してはいるのです。ところが視線や愛情や心血が目的語になると、動詞は一斉に「注ぐ」へ切り替わります。同じ対象を、一方では払い、他方では注ぐ。二つの比喩体系が一つの語彙のなかで棲み分けているのは、翻訳された概念と土着の動詞が別の層に属しているからでしょう。

語形の側にも層があります。この漢字は「そそぐ」と「つぐ」の二訓を持ち、そ・そ・ぐの三拍と、つ・ぐの二拍という長さの違いだけでなく、動作の質そのものが異なります。前者は途切れずに流し続ける動きを指し、後者は器を満たす一回きりの行為を指します。さらに紛らわしいことに、「汚名をそそぐ」の「そそぐ」は同音の別語で、洗い清める意の「雪ぐ」「濯ぐ」に当たります。注ぎ入れることと、洗い流すこと。音が同じで方向が正反対の二語が、この読みには重なっています。

複合語を並べると、この動詞が方向をきわめて強く持つこともわかります。降り注ぐ、注ぎ込む、注ぎ足す——いずれも上から下へ、外から内への移動を含んでいます。認知の側では、視覚と触覚と聴覚がひとつの出来事としてまとめられる多感覚統合の研究が進んでいますが、複数の流れが一つの器で混ざるという像は、まさに液体の比喩が得意とするところです。光の比喩では、混ざるという事態をうまく描けません。

受け手の側が有限であることは、実験でも確かめられてきました。映像のなかの大きな対象がそっくり入れ替わっても、注意がそちらへ向いていなければ観察者は気づきません。変化の見落としと呼ばれるこの現象は、目に映っていることと受け取られていることが別だと示します。受け手はあらかじめ形を持った器であって、空の容器ではありません。注ぐという動詞が要求するのは、受ける側に容量があること、そしてその容量が有限であることです。溢れるという事態が最初から想定されているからこそ、この語は選ばれます。

文: hakadoru.ai 編集部

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