浅ましい

【あさましい】形容詞

同義語

同品詞の類義語

淫らな文芸的
下品な
獣のような文芸的

類義句

同品詞の慣用的言い換え

淫売めいた文芸的
淫蕩な文芸的

直喩変換

「Xのような」「Xみたいに」形式の直喩

獣のように文芸的
欲望に溺れたように文芸的

副詞的言い換え

情態副詞・形容詞の副詞的変換

乱れながら文芸的
激しく、狂おしく文芸的

動詞的言い換え

形容詞・副詞を動詞句に変換

乱れる
悶える

体言的言い換え

用言を体言に変換

淫らな姿文芸的
獣のごとき情欲文芸的

婉曲・強調変換

ニュアンスの増減(婉曲化・強調化)

淫猥に文芸的
欲情にまみれて文芸的
本能のままに文芸的

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驚きから卑しさへ——語り手が身を引くための一語

平安期の仮名文学で「あさまし」が担っていたのは、卑しさではなく驚きでした。予想の外にあることが起きて言葉を失う、その心の状態を指す語で、めでたい出来事にも痛ましい出来事にも等しく使われます。目を見張るほど立派なものを前にして用いられた例も残っており、古い用例を並べると、称賛と非難のどちらへも振れる幅の広さが見えてきます。現在の語感からは、その中立さのほうがむしろ意外に映るはずです。同じ音が千年のあいだに移動した距離は、この一語だけでかなりのものになります。

語源には複数の説があり、「浅」という漢字が最初からこの語に付いていたわけではないと考えられています。表記の全体は浅・ま・し・いの四字で、そのうち送り仮名が「ましい」の三字ですから、漢字が担う部分は一字しかありません。読みは、あ・さ・ま・し・いの五拍。中世を通じてこの語の意味は驚きの側から離れ——見苦しさや卑しさの側へ落ちていきました。語の評価が下降する変化の、日本語における代表例のひとつです。驚きという反応は、驚いた当人の無防備さを露呈させます。その無防備さが対象の側の欠点として読み替えられたとき、意味の移動は完了しました。

性愛を扱う散文がこの語を手放さなかった理由は、意味の変化そのものよりも、語が話者に与える位置にあります。江戸の浮世草子や艶本には、克明な場面を書き連ねたうえで、末尾に教訓めいた一節を置く構造がしばしば見られます。序で戒めを掲げ、本文では存分に描き、末尾でもう一度身を引くという配置は、近世の読み物に繰り返し現れる型でした。描写を続けるためには、描いている当人が描かれる対象と同じ場所にいないことを示さなければなりません。「浅ましい」はその表示灯として働きます。読者の側も、灯を確認したうえで先を読み進めることができました。灯が点いているあいだ、筆はどこまでも近づいてよいのです。

検閲の時代には、この機能がいっそうはっきりします。書けない部分を空ける技法があるとすれば、評価語はその逆——書ける部分を増やす技法です。翻訳された官能小説では、原文にない非難の形容が訳文の側で足される例が知られています。訳者が一語を差し込むことで、本文全体が批評の対象として提示され、通過が容易になりました。序文で作品を風俗研究の資料として位置づける手つきも、同じ仕掛けの延長にあります。迂回とは、削ることだけを指すのではありません。足すことによって成り立つ迂回もあります。

もっとも、現代語のこの形容は他人だけに向くわけではありません。「我ながら浅ましい」という言い方が自然に立つのは、驚く主体が自分自身を見返す視線を、語が最初から抱えていたからでしょう。現代の共起を見ても、姿や根性といった、外から見える形と内側の傾きの両方に等しく掛かります。あきれるという心の動きには、対象と自分との距離を測る作業が必ず含まれています。距離が外を向けば軽蔑になり、内を向けば羞恥になる。この五拍の語が千年かけて移動したのは、意味の上というより、視線の向きの上だったのかもしれません。

文: hakadoru.ai 編集部

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